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AFWの変遷

福島第一原発への人道支援へ 

現在につながる活動は2012年の7月から始まりました。現在と違い、福島第一原発の事故収束が求められた時代です。福島第一原発で働く人たちの厳しい現状を世に伝え、廃炉現場の環境改善への社会支援を求めました。

 ですが、それはとても小さい取組で、現場を変えるに至たらず、2013年の11月、仲間と共に任意団体「Appreciate FUKUSHIMA Workers」を立ち上げ、社会に廃炉現場を支えることの重要性を、支援物資を贈る活動を通じて行ないました。

 その後、廃炉後の浜通り地方が豊かに暮らせる未来に向けて、避難解除を目指す地域で活動する団体と協働し、復興へのお手伝いも始め、福島第一原発と向きあいながら、「次世代に託せるふるさとを創り」を理念とした活動を始めました。

必要とする方へ福島第一原発の情報を届ける

転機になったのは福島第一原発への視察(2015年2月)。私達は、震災後初めて一般個人の方を福島第一原発にお連れすることを定期的に始めることになります。福島第一原発での作業が事故収束という言葉から、廃炉という言葉が使われ始めたころです。時を同じくして原発事故により避難を強いられてきた地域は、続々と避難解除し、福島第一原発との暮らしというものが始まっていきました。そこで、AFWは福島第一原発を公的財産と捉え、福島第一原発と共生する地域で暮らす方々が、必要な情報を得られる環境を私たちは作りあげることを目指していきました。

初心を忘れず、より包括的な取組へ

2015年の6月、任意団体時代の、Appreciate(正しい評価と敬意を含んだ感謝)、FUKUSHIMA(復興へと歩む福島県全体)、Workers(働く人たちへ)の頭文字を並べ、一般社団法人AFW」を立ち上げました。これは社会活動を始めた初期の思いを、いつまでも忘れないために名付けたものです。

 また、福島第一原発の情報発信だけでは、地域の再建にはなりません。地域現状+福島第一原発の現状を包括的に扱いつつ、原発事故被災からの地域再建とはどのように進めていけばよいか、社会共有する組織が必要と感じたためでした。法人化することで、政府・東京電力・地域行政・地域団体・地域の住民の方々といった、地域再建に欠かすことのできないステークホルダーと、次世代に向けた地域づくりのための協働をより強くしていくこととなりました。

次世代へ責任を持って繋いでいくため、「学びをサポートする」事業へ

様々な課題が原発事故で生まれました。それを乗り越えていく姿や悩む姿は、「社会課題」で苦しむ全ての地域の未来を豊かにしていくためのノウハウに溢れています。それが活かされれば、福島と言えば原発ではなく、福島と言えば人生を豊かにする場所という新しいブランディングにもなります。

 私たちは、原発事故という歴史を、あらゆる人の人生を揺るがしたからこそ、「ひとり一人の人生の尊さ」を教えてくれる出来事と捉えています。

 このひとり一人は、3.11が起きるまでに地域をつないでくれてきた先人たち、原子力災害に遭われた人たち、原子力災害被災地域と呼ばれる場所に住む人たち・関わる・訪れる人たち、遠い未来の人たち全てが含まれます。

 私たちは、人生を大切にしようと思い、そのための知恵や生き方を学ぼうとされる方々へ向けて、福島第一原発及び周辺地域の両方を題材とし、課題からの学びを探求し社会共有する事業を行っています。