福島第一原発元所長訃報を聞いて

2013年7月10日

その他

福島第一原発 元所長 吉田昌郎さんが亡くなられました。
親類の方から病状の事を教えて頂いていましたが、まさかという思いです。

私がお世話になったのは福島第一原発で環境施設Grという職場に在職している頃でした。その当時、原子炉GrやタービンGrといった花形グループと違って
環境施設という職場は直接原子炉安全に関わらないといった評価を受けており
保全(メンテナンス)に掛ける費用が回されない、そして扱いの低い職場になっていました。私の専門は放射性廃棄物処理設備でした。会社に入ってすぐ、原子力の放射性廃棄物の問題について強い疑問を抱いていました。最終的に処理できる方法がなくても、発電所内で保管する上では最高のパフォーマンスを持たせたいと考え、あらゆる改善提案をさせて頂きました。その当時吉田さんはユニット所長と呼ばれる、所内で2番目、3番目という位置の役職でした。吉田さんの強いプッシュにより何年も後回しにされていた事が劇的に進んだのを覚えています。仕事で喧嘩をしました。でもいい喧嘩です。本当にいい物を作ろうとしたら喧嘩になるほど本気になってくれる。そして最後には「俺が責任とってやるから やってみろ」って言ってくれて。。責任とるって言う上司は結構いたけど、こっちが責任とってくれるんだと安心感を持てる数少ない上司でした。

吉田さんは愛煙家で、しょっちゅう喫煙所でお会いしたのを覚えています。所長クラスだと皆しゃべりたくないんですが、吉田さんの周りには人が集まって、息抜きですから馬鹿話したりして。

私が最後にお会いしたのは、食道がんで福島第一原発を離れて一時休養に入った後、福島第二で激励のあいさつに訪れてくれた時です。
ちょうど建物の裏口を歩いていて、その時私は防護服を全身汚染した泥まみれにさせて、「吉田さーん。吉川です!!うちの親も応援してます。頑張ってください。」って声をかけたんです。そしたら「おう!頑張ってるな!俺も頑張るから。ありがとな。」って喋って。。。

同じ職場にいた人間が亡くなる。震災でも味わいましたが、決して慣れるものではなく心をえぐられる思いです。

本当に福島原発での復興業務は心的にも体力的にも大変な負担を負います。
ましてや、いくら何を言われても原子力安全神話の上で働いていた私達は、原子力事故を防げなかった罪悪感にも打ちのめされています。
そして現在は、進まない廃炉と世間から半ば関心を失われていく自分達に将来を描けなくなっています。

所長という立場では、自分だけでなく部下のこういった不安も重圧になったのではないかと思っています。

亡くなられた後にとか、病気になったあとにとか、評価されることではなく今こうして福島原発を支えてくれる人、くれた人に感謝と援助をして欲しいと切実に思います。そして無関心な社会を変えられない自分に情けなさと悲しさがこみ上げてきます。

吉田さんだってきっと言うと思います。俺を美談にするんじゃねぇって
俺と同じように命かけた奴らが今だに踏ん張ってるんだって

吉田さんは頑張ってくれました。
今度は私達が頑張る番です。

本当にありがとうございました。
ゆっくり休んでくださいね。
知識的には得てしまっています。

知識を悪用すれば、取り返しのつかないことが起きてしまいます。

私が原発労働者を手厚く扱う必要があると講演しているのは、情だけではありません。
今起こり得る危機への対処を促すためでもあるのです。

銃を手にした集団が正面から襲う必要はないのです。
静かに確実にそういった事を起こすことは難しいことではありません。
正規の手続きで作業員として入域し、事を起こすだけで済んでしまいます。

正直これを書くのはためらいました。
不安をあおるだけなのかなと。
しかし重要ですし、改善できると私は思っています。

私達のこの何気ない日常は多くのモラルある原発作業員達の頑張りと我慢によって
ぎりぎりのところで保たれているといったことは認識して頂きたいと思います。

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