原発事故被災者としての思い

2013年7月28日

その他

一避難民としての考え

私と私の親類縁者は皆原発事故により避難生活をしている。
もれなくだ。
こういったケースは珍しくはない。何故ならそれほど原発立地町村という所は狭いコミュニティーにて成り立っているからだ。

そこそこ田舎といった地域ではない。
私は茨城県出身だが初めて双葉町の駅に降り立った時、正直なところは「なんて田舎に来てしまったんだ」という思いだった。

例を挙げれば夜の7時を過ぎればやっているのはコンビニと飲み屋しかないそんな町なのである。

そこで生きていく人達の多くは核家族ではない。一生懸命働いて大きな庭付きの先祖代々の土地に暮らしていた。
家を出ても近隣の町に住む。それが常識の町だった。

現在双葉、大熊町は帰還困難区域が90%を超え実質後、3年半は否応にも帰れない。しかし隣接する富岡町や浪江町といった所は帰還準備区域と帰還困難区域が入り乱れたものとなっている。

高い確率で「帰らされる」避難住民がいるという事実と
高い確率で「帰ることが出来ない」避難住民がいるという事実。

前述したように家族という単位を3親等、4親等ととらえている地域では
この区域分けによって家族が分断されてしまっている。

私の例でいえば、私が住んでいたところは線量的に低く、いわき市と変わらないが福島第一原発から6キロほどしか離れていない。
義理の両親や親戚は帰還困難区域である。
私の嫁の実家は帰ることが出来ないのである。

そんな事情を被災者は抱え、戻ることが出来ても戻らない。家族と離れたくないと思うわけである。

切ない問題ではあるが、当然補償の度合いが違う。
それもやりきれない家族間のトラブルを起こしている。

今の所、震災から5年後以降の補償の話はでていない。
将来への不安、そして人生を失ってやり直すには納得のできない補償となっている。
被災者の補償で納得がいかないのは家屋の補償だ。家屋補償をしている人の
東電からの書類を見せて頂いたが、長く住んだ家屋は減価償却され現在の価値で計算される。
その方は40年以上暮らした家が200万ほどにしかならず怒りを隠しきれないと仰っていた。

多くの被災者の方が共通仰るのは「生かされているだけ、何を希望にすればいいのか?」という事。

しみじみ私も思う。なぜ生きているのかという問いは私だけでなく、被災者の多くが一度は考えたことのある悩みのはずだ。

震災から5年後、本当の苦労が始まる
補償が打ち切られ、帰っていいよと言われる。
しかし、5年後にはほぼ全ての被災者の方が新しい土地で新しい生活を始め
その新しい生活を捨てるという選択ができないはずだ。

本当は放射能の問題だけではなく「帰れない理由」というものが出来上がっていく事で「帰れなくなる」のである。

原発事故後の町の復旧を町議会にまかせている事実。
原発事故から立ち直っていく為には国レベルでの政治の介入が必要。
しかし被災者の数の規模が国に二の足を踏ませている

感じずにはいられない。地方の人間を救うために掛けるほどの予算と労力が国の繁栄には結びつかないとの考え。

私達は精神的苦痛の補償として
5年間、一日3300円で黙らされている。
失ったものは戻らない
対価としてのお金
きっと考え方は一日の食糧費といったところでしょう。
まさに「生かされているだけ」

講演で私は原発作業員の問題だけを扱っているわけではない。
被災者の方々の沢山のケースを紹介する。
被災者ひとりひとりに向き合ってもらいたいからだ。
これは一般の方へではない。勿論東電及び国にである。
問題を問題として取り上げてもらう為には、声を揚げるしかない
新聞やメディアに載れば、おのずと目につくはず。

一般の方にはここで被災者が蔑ろのまま終われば、次に一般の方が万が一原発事故にあった時、同じ待遇に合うということを分かってほしい。

矛盾した再稼働の先に、同じ末路が待っている可能性がある。

被災者の方々を私が支援するのは、自分も被災者だからだけではない。
この不幸を日本人全てが負う可能性があるのだから、今のうちに正しい原発事故があった場合の補償のあり方を決める必要があるからだ。

原発被災者の問題は決して他人事ではない。
原子炉政策が止められない今、可能な予防策を練り上げていく必要があるのだから。

活動一覧はこちら