webマガジンの取材を受けて

2014年1月13日

その他

ロイター通信社の方とのお話しの後、東京駅で取材を受けてきました。

その方は3月からご自身が始めるWebマガジンの記事に私と団体を書いてくれるそうです。

色々とお話ししました。
私の団体の活動動機
いち被災者の一人として経験した事。
双葉町仮設住宅におけるお話し。

途中明らかになったのが、その方の身内が浪江の方で私とかなり近いところに住んでいたことです。

いつしか、ご年配で避難されている方の問題って取り上げるべきではないかという話になりました。

私にも義理のおじいちゃん、おばぁちゃんがいます。
既に90近い二人。双葉町に住んでいました。

現実的に生きている間に帰れるのだろうか?
今は遠く千葉県に住んでいます。
今まで会っていた友達にも会うことができません。
私達の様に車や電車で会いに行くのが高齢故に困難だからです。

あまり知られていない事ですが、仮設住宅に今になって入る人達がいます。
その理由の一つとして、避難先での生活に馴染めず、また友達知り合いが仮設住宅にいるからです。

ご存知の通り、仮設住宅も老朽化が進み元々仮住まいを想定した簡易住宅です。
被災者でない方から見れば、なぜ出て一般アパートや住宅に移らないのかと思われます。

そこには、失った故郷に代わる新しコミニュティーが建設され、多少の住みずらさよりも、人と繋がっていたいと思うからなんです。

これが全てではなく、進まぬ補償により経済的に出ることが出来ない方も多くいらっしゃいます。
また出たくても、いわき市等では一般賃貸住宅不足により出る先もないという理由もあります。

ご年配の方は知り合いと近くにいたいという理由により避難先の家族の元を離れ、仮設住宅に戻る方が増えてきました。

最近では復興住宅なるものが建設されています。
イメージはマンションです。
ですがまだまだ数が足りず、抽選で入る方が決まるような状況です。

各町への帰還がいつになるか明らかになっていません。
分かっているのは帰還困難区域の方は後4年以上は絶対帰れず、明確には国は言いませんが恐らく帰還が無理な状況。
それ以外の避難区域も後2年は帰れません。2年後帰れるようになってもそれは放射線量的な話で、暮らしていくには必須の商業インフラは0からの出発です。

復興が進んでいないと福島県の方が声高に言うのは、一般の方が当たり前に感じている生活レベルにすら到達していないからです。
そしてそれがいつになるかも分からない。

私の様に高齢者を身内に抱える人達は数年が恐ろしく長く感じます。
そして高齢者へのケアも大切な問題です。

取材のはずが思わぬ高齢の被災者の方の問題を話し合う場になりました。
高齢者の方が現実帰れない実情の中でも、そこに幸せや楽しみ、マイナス思考にだけ向かわないような仕組み支援を考えなければと思いました。

町そのものの復興と被災者の方々が個々に抱える問題の解決と原発作業員が抱える問題。
優先度は全て上位です。
これらをトータル的に取り組める力が必要だと実感しています。

行政と国と東京電力がそれぞれの役割を果たしてもらうのは当たりまえですが、いずれも大変な状況です。

民間サイドでも上手く出来ないものでしょうか

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