関東の学生をご招待しました(その1)

2014年1月15日

地域再興支援

今日は関東の学生団体の方を広野町に招待し、そして広野町小学校と広野町中学校を訪問させて頂きました。

常磐線いわき駅で待ち合わせをし、いわき市中心部から広野町へ国道6号線を通っていきました。

彼らに知って頂きたい事として、いわき市の発展具合と北に隣接する双葉郡との発展の違いを直に感じて頂くためです。

放射線測定器を備えての移動をしました。線量的な違いがどのくらいあるのかも知ってもらう為です。

いわき市と隣接する広野町は福島第一原発から距離にして30km圏内ですが、放射線量はいわき市と有意差はありません。
変動幅は0.08~0.14マイクロほどです。

広野町町内は一般の地域と同様に運動の制限もありません。
小中学校では運動時間制限もありませんし、プールも再開しております。

最初に広野町小学校に訪問しました。

校長先生に対応して頂き、震災から現在までの経緯を教えて頂きました。
震災前の通学児童は311人、震災後は75人になっています。
その内、広野町町内から通う児童が42人、避難先(いわき市内)から通う児童は33人になります。
およそ1/4の児童数になり半数ほどが避難先より通っています。

広野町小学校の児童の多くはバス通学になっています。
避難先から通う児童はもとより、町内の児童もバスで通っています。
その大きな理由は放射能不安によるものです。
いわき市と有意差がない空間線量まで除染が終わったとはいえ親御さん達の不安により徒歩学をする児童は本当に小学校近辺に住む10人ほどの児童だけだそうです。本来歩いて十分通える児童達もバス通学をしています。

朝一本の通学バスは一番遠い児童で片道1時間30分ほどかかります。
原発作業員の方々、除染作業員の方々の通勤渋滞と時間が被るため、始業時間に間に合わない事もあるそうです。

こちらのバスは中学生も兼用の物になります。
広野町の小学校、中学校に通うバスが1本しか無い為、一緒のバスで通うことになっています。

悩み事の一つとして、長時間のバス通学が自動にとって心的、体力的にストレスになっていると伺いました。
そして決められた時間で帰らなければならず、放課後遊んだりする事がバスの決められて時間制約により行えません。

バス通学で生じる問題として降り過ごしてしまう児童や忘れ物をしてしまう事態が発生しているそうです。

仮設住宅、民間借り上げ住宅から通う子供達が抱える問題として、帰っても落ちついて勉強出来る環境がないケースを教えて頂きました。
仮設住宅等は最低限の部屋割りです。勉強をするためのスペース確保が難しいのです。学校側の対策として、帰りのバス町の数十分に時間を利用し宿題や勉強の時間あてています。

児童数減少による問題としては、集団で行う活動は出来ません。
例で言えば多人数で行うサッカーといったスポーツを行うことも人数が足らず行えないといった事です。

ボランティア活動自体の問題も教えて頂きました。今も沢山の支援を頂いているそうです。
大変感謝している反面、どうしてもイベント形式の支援の場合、授業を削り対応しなければならず本来やらなければいけない授業が進まないといった問題が生じている事も教えて頂きました。

また先生といった立場で心配している事が「支援してもらう事が当たり前」といった感覚に児童が染まらないかという問題です。
殆どの支援イベントが無料です。また支援金も頂き本来積立て行う旅行も負担がないそうです。また旅行先でも被災地児童という事で優遇されているそうです。
ここでも大変有難い事である認識ですが、未来永劫続く事ではなく支援はいつか終わりがくる。その時、一般の学校と等しく当たり前に行うことがなぜ支援されないの?といった事に繋がらないかと不安を感じてしまう。教育といった観点で言えば、本当にそれでよいのかと。。。。
複雑なお気持ちでいらっしゃいました。

親御さん達が抱える悩みとして、現在町に溢れた原発作業員の方々、除染作業員の方々の一部が町で騒ぎを起こしてしまう事があり、大げさに言えば治安の悪化を心配する声があがっています。
震災前の広野町町民は町民どうしが皆知り合いで、現在のように名前も顔も分からない人達はいないといった、コミニュティー環境が強い地域性が不安を感じるもとにもなっています。

放射能に関する不安度が親御さん個人個人で違いがあるのも問題の一つだと仰っていました。
全然気にしない方もいれば、給食を食べさせる事も禁じる方がいる。
どちらが正しいと言えるものではないため対応が難しいとの事です。

町の復興具合についても問題視されていました。
子供達が使える商店はコンビニが3件ほどあるばかり、町にあったスーパーは撤退し町にはスーパーすらなくなってしまった。
特に病院については、現在町に2件あるものの平日の午後など医者がいない時間帯がある。その時に児童が保健室で対応出来ないけがをした場合、いわき市まで運ぶ必要があり、実際に起きたそうです。

町の復興が進まぬ例の一つとして新聞屋さんの事を教えて頂きました。
広野町では新聞は各家庭に届きません。新聞屋さんに取りに行くそうです。帰還した町民が少なすぎて、配るのにかかるガソリン代などで赤字になってしまうため、泣く泣く取りに来て頂く措置をとっているそうです。
また、広野町は双葉郡になります。いわき市に隣接しているにも関わらずチラシが入ってきません。
双葉郡というだけで対象から外されています。

コミニュティーが崩壊している事例として、回覧板も回せないと伺いました。隣接する家屋に人が住んでおらず、次に回すにも遠方になってしまうからです。

学力の低下等は起きていますかという質問には、実際には児童数が減少した事により、かえって児童一人一人に先生が向き合う事が出来、目に見える学力の低下は起きていないそうです。

校長先生が何度も仰っていたのが、是非児童の普段の様子を見て欲しいという事でした。
今も通学問題等制限はあるものの、一般の方が抱く可愛そうな児童達ではなく、明るく元気に前向きに学校生活を送っている姿を是非知って欲しいとのことでした。

高学年の児童などは被災地の児童扱いされる事をかえって悲しいと訴える子もいます。

実際私も今日、児童達に出くわしましたが皆こちらがびっくりするほど大きな声で挨拶してくれました。
笑顔を振りまき近寄ってきて、今日はかなり寒かったのですが厚み1センチほどもある氷を誇らしげに見せてくれました。
あげる~と渡してくれた氷とその子の笑顔を見て、私は単純に自分の中に描いていたイメージを壊された思いになりました。

先生も仰っていましたが、TVや新聞ではどうしてもお涙頂戴の報道ばかりですが、震災から1ほどの時期に比べ、今は子供達も明るく元気にやっている事は取り上げて貰えないと、いつまでも悲惨でかわいそうなイメージから変わらない事は、この子達の現状と外のイメージのギャップがいつまでも埋まらないと。

最後に先生方のご苦労はどうですか?と質問させて頂きました。
広野町小学校の教員の方の場合、全員が原発事故により避難生活をされています。
現在では皆さん前向きに教員の仕事に取り組んでいるそうです。

苦労らしい苦労と言えば、あえて誤解なく言うのならば現状を知らずにして支援してくださる方々が多すぎて、そちらに労力が取られ本来業務に支障がきている事だそうです。
誤解ありませんように、大変感謝しているのですが対応が効かないという事です。

町の教育委員会とも相談し、失礼ながら来年度は支援の受け入れも制限させて頂きたいとのことでした。

私も支援すべきという考え行動していましたが、大変赤裸々にお話しして頂き、現状を世間に伝えるkとが重要な支援だと感じております。

先生方のご負担にならないように、そして学校内では日常が戻っていますが通学の問題や人数減少による多人数活動の制限、仮設住宅等勉強がしずらい環境の改善、現地の明るい実情が伝わらない問題等の支援と改善が必要と分かりました。

今回訪れて頂いた学生団体の方々の今後の活動に活かして頂きたいと思います。

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