個人写真家の方をガイドしました

2014年6月6日

現地ガイド

ひとえに避難区域といっても、行政(町毎)に復興の進み具合はまったく違います。

来年春、帰還を想定している楢葉町は着々と除染が進んでいます。
6号線を堺とし、東側では焼却処分を待つ除染廃棄物が山のように積み上げられ、悪臭を抑えるため緑のシートで囲われています。
JR常磐線も開通し竜田駅まで運転をしていました。

続く富岡町からは様子はがらっと変わり、地震と津波の瓦礫撤去も半ばです。
ですが復興の歩みは感じられ、試験的な作付けも始まっていました。
除染も僅かずつですが始まっています。

その先、大熊、双葉は震災時の風景を色濃く残しています。
一次立ち入りの為に、一部道路は補修されましたが、主要道路以外は注意しながらの走行が必要でした。
天気が悪く霞がかった風景の向うには1Fが見え、多くの原発作業用車両が行きかうものの、立ち入りの為の車は少なかったです。
地震からの復旧も進まず、未だに屋根にはシートが被せてあり、今日のような天気では恐らく屋内はカビにより汚染がなくても住む事が難しいと感じる装いです。

浪江町に入ると除染車両が行きかい、帰還に向けて前向きに進んでいる状況と感じました。
我が家に帰ると未だに水道が出ません。電気は通じるものの水道整備はまだまだなのでしょう。
浪江町役場が通常営業していました。人がいない町、商店が機能していない町ですが、役場だけが震災前のように人が多くおり、事務仕事に追われている姿は違和感を感じながらも、ちょっとだけ日常が戻ったような。。。
帰還へと進んでいるのは実感できました。

国道114号を通り川俣町へ。
途中浪江町津島によりました。帰還困難区域です。
妻の実家を通り、この時期の森と雑草の成長により回りはジャングルの体に。
一生懸命素晴らしい町だったと喋る私と実物のギャップに同行された方は、何とも言えない表情をされていました。
線量も高く、車の中でも3マイクロほどありました。1年で1ミリシーベルトの目安は0.23マイクロです。

複雑な感情の中、川俣町へ。
川俣町も除染が進んでいました。
シートは被らず無数に置かれた除染廃棄物は黒山と表現するに値する量です。
除染作業員の方々は雨の中も取り組まれていました。
途中、福島大学の方々が研究用なのか、作業されている姿を拝見しました。

船引町まで来ると、震災の影響を感じられないほど発展をしていました。
恐らく南相馬市よりは整理されているといった印象を受けました。

途中何度も道が行き止まりになっており、右往左往しましたがお越し頂いた方も私も貴重な体験を出来たと思っています。

被災地と一括りに出来ず、行政が違うと取組みも全然違います。

双葉郡を一回り、計260kmの道のり。

ガイドを希望される方ご連絡をお待ちしております。
やはり生で見て感じる事は必要だと思います。

活動一覧はこちら